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大阪家庭裁判所 昭和51年(家)2894号 審判 1977年1月05日

申立人 植村靖子(仮名)

主文

本件申立を却下する。

理由

1  申立の要旨

申立人は奥田勝久と婚姻した昭和三六年以来同人と離婚した昭和四九年まで約一四年間奥田の氏を使用し、離婚後もペンネームとして婚姻中の氏である奥田を使用している。また申立人は奥田勝久との間の長男奥田克也の親権者で同長男と同居しているが、母子で氏が相違するので生活上非常に不便であり、かつ肩身の狭い思をしている。

先般制定された民法七六七条第二項の立法趣旨に則り、申立人の氏である植村を奥田に変更することの許可を求める。

2  調査の結果当裁判所が認定した事実

申立人は昭和一一年一月二日父「植村安次郎」母「よしの」の長女として出生し、植村の氏を称して成長し、昭和三六年七月七日、二五歳のとき奥田勝久と、夫の氏を称する婚姻をした。そこで申立人は奥田靖子と称するようになつた。ところが、申立人は昭和四九年一月二四日、当裁判所において奥田勝久との間に、双方間の長男克也(昭和三七年三月三〇日生)の親権者を申立人と定めて調停離婚した。それで申立人は、奥田勝久の戸籍から出て「植村靖子」なる単身戸籍を有するようになつた。

申立人は、奥田勝久と婚姻中であつた昭和四八年頃、申立人の肩書住所々在の申立人の父所有の家屋に、移転し、夫勝久及び長男克也とともに住んでいたが、勝久と離婚後は、申立人と長男克也とが、引続きこれに居住している。申立人は世間体を考慮し、同家屋に引続き、奥田の表札を掲げており、郵便も宛名を奥田としなければ届かない実情にある。また申立人は昭和四八年一〇月一六日から、近くの会社に勤めているが同会社には、申立人が離婚し、婚姻前の氏に復したことを届けていないので、離婚後も引続き奥田靖子として雇傭されている。長男奥田克也は昭和五二年四月高校進学の予定であるが、同進学手続には住民票が必要とのことで、申立人は克也の住民票に世帯主が植村靖子と記載されているのを中学校に提出するのは申立人にとつて具合の悪いことと思い、またこのままでは将来克也の就職にも支障を生ずるものと心配している。申立人は克也の氏を申立人の氏に変えては、克也が可愛そうと思つて、その手続をしていない。申立人は、その氏を奥田に変更した後に、克也を自分の戸籍に入籍させたいと思つている。そこで、申立人は戸籍上の氏である植村を、奥田勝久と婚姻以来約一六年間使用している奥田に変更方を希望している。

然し、奥田勝久は、申立人がその氏を奥田に変更することは、離婚したのに婚姻中の氏に戻ることとなつて感情的に容認できないとして、反対している。

3  当裁判所の判断

元来、氏は名とあいまつて、自他を区別するための標識であるから、一度定められたら、民法七六七条二項のような規定に基くほかは、容易に変更を許されないものである。

そして、一般に、氏の変更は戸籍法一〇七条のやむを得ない事由があるときに限つて許されるのであつて同条にやむを得ない事由というのは、当人にとつて氏を変更しなければ、社会生活上重大な支障があるとともに現在の氏を引続いて使用させることが社会観念に照して、不当であるとみられる場合をいうものと解する。

申立人が婚姻中の氏である奥田を使用して営業をしている等の事実があつて、申立人の生活を維持するために、奥田の氏を使用しなければならないような事情があれば格別であるが、そうした事情の認められない本件においては、申立人が離婚によつて復した植村の氏を使用しても申立人にとつて社会生活上重大な支障があるものとは考えられない。申立人の氏を奥田に変更しても、障害がないからといつて、それをやむを得ない事由があるものということのできないことは多言を要しないところである。

申立人宛の郵便物が植村と表示してあつては配達されないのであれば、配達郵便局に対して、植村宛の郵使物も配達するようにと届出れば足ることであり、申立人の勤務する会社は、申立人の氏が植村に改められても、引き続いて雇傭してくれるであろうし、住民票に申立人の氏が長男克也の氏と異つて記載されていたとしても、それは申立人が夫の氏を称する婚姻を解消した当然のなりゆきであつて、致し方のないことである。申立人と長男克也とが同居しながら、氏が異ることによつて多少不便を生ずることは考えられるが、氏を同じくするだけであれば、民法七九一条によつて長男克也が母である申立人の氏植村を称することには家庭裁判所も、比較的簡単に許可するであろうと思われるし、申立人に対し、戸籍上の氏である植村の使用を継続させても、社会観念上不当であるとは考えられない。申立人が、奥田勝久と離婚後本日まで約三年間通称として「奥田」の氏を称していたとしても、未だ、それをもつて奥田なる通称を永年使用したということはできない(婚姻中の使用は通称ではない)。

民法七六七条二項の規定が公布施行されたのは昭和五一年六月一五日であるが、その附則により、同規定はその施行前三月以内即ち昭和五一年三月一五日以降に離婚した者についても、施行の日から三か月以内即ち同年九月一五日までに同条項所定の届出をすることによつて離婚の際に称していた氏を称することができる旨の経過措置が定められている。申立人が奥田勝久と離婚したのは昭和四九年一月二四日であるから、申立人は民法七六七条二項によつては、奥田の氏を称することはできないのである。

上記民法の法条が制定されたことによつて、戸籍法一〇七条のやむを得ない事由に対する解釈が緩和される場合のあることは考えられる。然しながら、特別の事情の認められない本件において、申立人の本件申立を戸籍法一〇七条のやむを得ない事由があるとして認容するときは、申立人も民法七六七条二項の適用を受けたと同じ結果となつて、上記経過措置が定められた精神を没却するものという非難を免れないであろう。

その他諸般の事情を総合考慮しても、申立人にやむを得ない事由があるとは認められないので本件申立は却下するのほかなく、主文のとおり審判する。

(家事審判官 常安政夫)

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